「目黒さんは初めてじゃない」は童貞の悪夢か希望か

pixiv界隈をうろうろしているときに目に付いた作品。

ほほぅ・・・と思ったので文章として感想文を残そうと思う。

comic.pixiv.net

漫画、アニメ、ゲーム、という何故か一緒くたに語られがちな「物語を軸とした娯楽」をざっくり見渡した時、もやもやと感じていた「これ男女逆のパターンってあんま無いよな」の「無いほうのパターン」がそのまま具現化したような作品、それが「目黒さんは初めてじゃない」だ。

「目黒さんは初めてじゃない」の大まかにストーリーを紹介しよう。

由緒正しきのび太系主人公の童貞男子古賀くんは、ローテンション美少女目黒さんに告白し、奇跡の交際OKをもらう。ところが彼女は二言目に発したのは「けど私、処女じゃないですよ」という衝撃の事実だった。

目黒さんの発言の真意も掴めぬまま、古賀くんは目黒さんとの交際をスタートする。

彼女はおろか友達もろくにいない古賀くんと、経験豊富だが、決してNOと言わない目黒さん、果たして二人の交際の行方はー!?

といった感じだろうか。

現在pixivで1〜6話と特別編が公開されているのでぜひ読んでみて欲しい。

僕も公開されている分しか読んでいないので、ここから先も現在公開されている1〜6話と特別編の内容だけの感想になるのでご了承いただきたい。

さて、冒頭でも触れたがこれは「漫画界(特に男向け漫画)に母親以外の非処女が存在を許されない問題」へのアンサーともいうべきエポックメイキングな作品だと思う。これがpixivの公式作品として上位に入っているという現状は、なんというか漫画の読み手も描き手も、一つの極みに達してしまった感がある。

主人公の古賀くんはとてもいいやつだ。というか一切こじらせてない童貞。こじらせてない童貞とはつまり、自分に自信はないが、そのコンプレックスが外界への敵意や認識の歪みに変化してはいないという状態だ。小学生でも簡単に風俗産業の裏側を覗くことができる現代社会で、そんなことがあり得るだろうか?と思ってしまうほど稀有な少年であり、それはまさしくこれまでの男性向け漫画のヒロインと主人公の属性を反転させた鏡像に他ならない。

話の中で古賀くんは目黒さんの非処女についてほとんど意識しておらず、それを経験豊富などという言葉でぼやかしている。彼女が過去に別な男に抱かれている様を想像して絶望することもない。極端に初心というか単に精通してねーんじゃねーの?と言いたくなる性への無関心さ。しかしこれこそが現代の童貞に求められる価値観なのかもしれない。

古賀くんの奇跡のいいやつぶりに破綻が起きない最大の理由としては、彼に友達がいないという設定によってもたらされる、ホモソーシャルからの隔離がある。男性社会の中で共有される女性情報は、世間でよく言われる「女子だけの飲み会の下ネタ」に勝るとも劣らないエグさだ。この薄暗く湿ったホモソーシャルの檻の中で、男子は、物や経験値として異性を扱うという価値観を醸成してゆく。そして同時に童貞は認識を歪ませて行き、こじらせた童貞が完成する。この蠱毒のようなホモソーシャルから隔絶されている古賀くんは、ある意味で女子にとって理想の男なのかもしれない。そしてこれは男女が逆になってもまた真理であり、多くの漫画のヒロインには女友達がいないか、いても限定された親友くらいのコントロール可能な広がりしか持たない、というよくあるパターンに帰結する。結局のところ、異性愛者であれば「異性は好きだが異性の集団は怖い」というのが本音なのだ。(物語として描く必然性がない、というのが実際のところ、最大の理由だろうけど)

対する目黒さんは1話目の冒頭で、二言目に自分が非処女であると自己申告するほど、ホモソーシャル的、もしくはこじらせ童貞の価値観を熟知している。というか彼女はどのような意図があって告白の返事の二言目に非処女であることを宣言したのだろうか。もちろん、作者としては漫画のインパクト、掴みとして非常に優れたやり方だから、ということは承知の上で、ここで考えたいのは、よく考えたら不自然な自己申告を割とすんなり受け入れた読者(それはつまり僕のことなのだが)の中に潜在している価値観についてだ。

付き合う彼女が処女(童貞)であることを気にするか?または経験人数何人までならOKか?という問いはこれまで散々繰り返されてきたことなので、告白のタイミングでこれについて言及するというのは正しいことかもしれないが、現実的にはほぼありえない。誰だって表面上はそんなこと気にしないという体でいるわけだから。そんなこと気にしてないよというのが正しい建前であり、それが正しい建前であるということは、多くの人間にとって大いに気にする問題ということだ。

エロ本の世界を除いて、漫画の世界ではより露骨にこの価値観に忖度するのが常識になっている。

ヒロインたる目黒さんが非処女という属性を持ちながら、同時に世間の反非処女的価値観を象徴するセリフを伴って登場する冒頭シーンは、僕ら自身の目を背けたい本音と建前を露わにさせる。

目黒さんというキャラクターについては6話まで読む分にはまだあまりその人格形成の過程については語られていない。今のところ言えるのは、やはり彼女の空虚なキャラクター属性もまた、やれやれ系主人公の性別反転ということができるかもしれない。

ここまでとりとめもなく思いついたことを書き留めてきたが、そもそもこれは読者に男は、そして童貞はどれくらいの割合でいるのだろうか。多分だけど、ほとんどいないと思う。胸囲の大きな美少女が大きく描かれた表紙(サムネイル)から勝手に男性向けの内容かと受け取ってしまうが、その内容は、美少女のヒロインを男子の目線で眺めるのではなく、むしろ主人公の男子のイケメンぶりを楽しむ少女漫画的な作品だからだ。

ではこの作品では男性読者や童貞読者を完全に切り離しているのかというとそうでもなさそうだ。この作品の童貞にとっての救いは、おそらく、目黒さんの心の処女はまだとっておいてある、という点だろう。深く閉ざされた心の処女(ってなんだ?)に純真で優しい古賀君がリーチする時のカタルシスを期待して読めば、きっとまださほどダークサイドに染まっていない童貞なら楽しめるのではないだろうか。

僕がこの作品から感じた衝撃は「胸囲の大きな女の子が表紙に描かれている」=「男向け(男へのサービス商品)だ」という、文章にするとなんだかもうため息しか出ないような思い込みに前頭葉をヒタヒタに浸した状態でこの作品を読み始めると、冒頭の「私処女じゃないですよ」という一言でバシーッっとひっぱたかれる仕組みにゾクゾクした結果だ。

この漫画はセックスのギャップについての物語という表面を持ちながら、同時にジェンダーのギャップについても言及できる可能性を持った漫画になっている。属性を反転させて考えてみる、というのは道徳についての思考実験の常套手段かもしれないが、それが娯楽としての可能性を秘めているというのは、個人的に発見だった。とにかく、いろいろと考えるきっかけになりうる漫画だと思うので、ぜひ読んでみて欲しい。

 

目黒さんは初めてじゃない(1) (パルシィコミックス)