「繕い裁つ人」の舞台はなぜ町家なのか?

 

繕い裁つ人(1) (Kissコミックス)
 

 

漫画家の中には特異な背景を描く一群が存在する。

例えば弐瓶勉などは背景こそが主役であると言って憚らなかったし、大友克洋は崩壊したビルの破片を頭の中で再び組み立てて崩壊の前のビルに戻すことができるという都市伝説じみた話がある。林田球の背景はその突拍子も無い混沌とした世界を、読者の脳内に定着させるのに必要不可欠な要素だ。五十嵐大介の卓越したデッサン力で捉えられた自然界は、生命力が無限に湧き上がってくるように読者に迫ってくる。浅野いにおもまた新しい時代の背景を模索しているように感じる。

今挙げた作家ような一群の作家は、割と寡作、アシスタントを使わない、そして、これでもかと背景を書き込むタイプが多いように思う。バッチリ取れたパース、雄弁な小物、壁のシミすら意志を持っていそうだ。

一方で、背景にはあまり興味の無い作家もまた沢山いる。というかこちらの方が多数派だろう。アシスタントの仕事といえばやはり背景。そうなるとなかなか背景によって世界観を物語る、ということは難しいのだろう。

私個人の趣味でいえば、背景ががっちり書き込んである漫画が好きだ。漫画では背景への書き込みの多寡が、その世界をより強固なものとして脳内に定着させてくれる。漫画の世界と強固に繋がった状態で読む物語は、やはりキマり方が違う。

さて、前置きが長くなったがここで池辺葵の「背景」について話したい。

池辺葵の作風といえば、シンプルで柔らかな線。背景もまた限定された、フリーハンドの線のみで描かれている。このような作風では自然と背景に目がいかないようになるのが自然なのだが、池辺葵の背景は、時折、何か確固とした空間設定があるように感じられる。まず「繕い裁つ人」の主人公が暮らし、仕事場としているのは土間のある町家であるように見受けられる。昔ながらの商店を引き継いでいるという設定なので、この時点ではあまり背景に目が行かなかったが、話が進むごとに、敷地の奥に蔵が建っており、中に大量の洋服が保存されている、という描写がある。この時初めて、この漫画の舞台となっているのがかなり古くからこの土地に建っている町家である、ということが分かった。しかも、よく思い返してみると店土間があり、通り土間があり、さらに奥に坪庭、そして最深部に蔵がある、という現実の町家と同じ空間構成が漫画の中でしっかりと設定されているのに気付く。

おそらく作者は町家がこのような空間構成になっているということを取材し、漫画に取り入れたのだろう。私は仕事柄、漫画に描かれる建築に着目して読んでしまうことが多いのだが、町家の空間構成を分かって漫画の背景に使う漫画家というのは中々、漫画の世界へのこだわりが強いのではないかと思う。しかし同時に、「繕い断つ人」の背景では細部がかなり省略されいているし、建築はおろか、小物に至るまでディテールに関しては全く描く気がないことも分かる。描写はしないのに、空間構成だけはやけにしっかりしているというこのアンバランスさは、一体何を意味しているのだろう?

繕い裁つ人」は漫画としてとても面白く読んだし、その爽やかな読後感も素晴らしかった。しかしこのアンバランスさがどうも気になっていた。

その後、池辺葵の新連載が始まったわけだが、なんと題材が「女性のマンション購入」というから驚いた。「プリンセスメゾン」は家族も恋人も友人もいない若年女性が自分の居場所を獲得するために、マンションを購入する、というかなり目新しいコンセプトで、もちろんただ単にマンションを買いました、終わり。という話ではなく、核心のテーマは「居場所」なのだと思う。主人公はマンション購入のために様々な人と出会ったり交流するようになり、互いに影響を与え合う。また、時折挿入されるマンションを購入した独身女性の短編的な話にも、様々な形の現代女性の「居場所」のあり方が、池辺葵流の優しい目線で描かれている。

プリンセスメゾン」を読んで、「繕い断つ人」の空間構成へのこだわりの謎が解けた気がした。言ってみれば「繕い断つ人」もまた居場所を巡る物語であり、その居場所とは時に職業であったり、友人関係であったり、シェルターとしての自宅であったりする。そのコンセプトからすれば、その主人公の住んでいる家がどのように町に接続されているのか、という空間構成はしっかりと筋が通っていなければならなかった、という訳ではないだろうか。

町家が舞台になっていのは、この漫画を構成するのに欠かせない「職住一体の暮らし」「近所との距離感」「その場所に蓄積されてきた時間」などを空間的に表現する方法だったと言うことだろう。

さて、余談だが、実写映画版では確か「繕い断つ人」の舞台は海のそばの坂の上に建つ、洋館風の建物になっていた。しかしやはりどうにも洋館では近所との空間的な繋がりが弱く、原作にあった生活ー仕事ー近所という三者の連続感が描かれていないのが不満だった。また、坪庭と敷地最深部にある蔵という私的なワンダーランドというドラマを盛り上げるマジックも、ぜひ実写で見てみたかった。